
ウォレットの活用・導入検討を行う際に、多くの方が悩まれるのが「比較の軸が正しいのか分からない」という点です。ウォレットは定義上「署名鍵を管理するためのツール」の総称であり、その実装が千差万別です。そのため、自分が今何と何をどの軸で比較しているのか、それを比較することで自分は何を決定しようとしているのかを正確に把握することが非常に困難です。本記事はウォレットの仕組みや選び方を解説してきたシリーズの三本目です。一本目でウォレットと署名鍵の基本を、二本目で法人が業務用ウォレットを選ぶ観点を扱いました。今回は、ウォレットをめぐる議論の土台となる比較軸そのものを、技術的な制約に立ち入って整理します。
冒頭にお伝えしたとおり、ウォレットという言葉は現在非常に幅広い対象を指す概念として利用されています。スマホで操作する個人向けの暗号資産アプリから、USB型のハードウェア、業務用の資産管理システムや、自己主権型のIDを管理する電子署名アプリ、果ては署名鍵の情報を書き込んだただの紙や金属まで、全て「ウォレット」という言葉で表現されています。
これはウォレットが多くの定義において「署名鍵を管理するためのツール」としか説明されてこなかったことに起因しています。このように千差万別のウォレットですから、その詳細な違いを比較する軸もまた数え切れないほど存在します。
そこで、この記事では、ビジネスの実務でとくに議論に上がる代表的な比較軸5つを紹介し、その比較軸で並び立つ選択肢同士を確認していきます。
これらの軸で検討する際に共通することとして、その選択が、どの攻撃を防ぎ、どの攻撃を防げないか、を常に意識しておく必要があります。署名鍵そのものを狙う攻撃もあれば、署名鍵を置いた環境を狙う攻撃、署名するその瞬間を狙う攻撃、運用とそれを担う人を狙う攻撃、サプライチェーンに関与する外部事業者を狙う攻撃もあります。
例えば、署名鍵の保管をオフライン環境でどれだけ厳重にしていたとしても、操作者が脅されたり、署名対象のトランザクションが別のデータにすり替えられたりしていれば、攻撃は成功してしまいます。
比較軸には比較軸ごとの制約と限界があり、これらを一つ一つ理解していくことが重要です。
第一の軸は「署名鍵がインターネットにつながっているか、いないか」です。一般的には、つながっていればホット、切り離されていればコールドと呼びます。インターネットから隔離するために設置される境界のことを情報セキュリティの文脈で「エアギャップ」と呼ばれます。鍵のある環境と外部ネットワークのあいだにある、物理的な隙間のことです。
オンライン環境からの切り離しは保管時だけの問題ではありません。肝心なのは、鍵の一生——生成し、保管し、署名に使い、やがて廃棄するまで——が、エアギャップの内側で完結しているかどうかです。保管している期間がオフラインであっても、署名の瞬間オンラインになるウォレットもあります。また、署名の瞬間をオフラインにしても、鍵の生成やバックアップがどこかでネットに触れていれば、そこが露出点になります。つまり、コールドとは、鍵のライフサイクル全体をエアギャップの内に閉じ込めた、かなり限定的な運用を指す言葉です。
この分岐の内側に、程度をあらわす呼び名がいくつかあります。ホットのなかで接続を絞り、承認を重ねて安全側に寄せたものを、ウォームと呼ぶことがあります。ただし、そこで足されている工夫の多くは、接続の有無というこの軸には属しません。承認の分掌や署名内容の検証といった、別の軸の対策です。ウォームは、異なる軸の対策をホットに重ねた状態を指していることが多く、この軸の目盛りとして受け取ると像がぼやけます。反対に、コールドのなかでも移転の操作そのものを極力減らし、鍵を動かす機会を絞り込んだものを、フローズンと呼ぼうという議論もあります。どちらもオフライン性を巡る分岐の内側にある、程度問題であると留めておくのが正確です。
コールドの制約は便益と表裏一体です。鍵をインターネットに晒すことのない実装ゆえに、遠隔から情報を抜き取ったり、不正に操作するタイプの攻撃に耐性がありますが、その分、遠隔での操作やプログラムに基づいた自動処理との食い合せはよくありません。
署名者に偽の中身を見せて承認させる攻撃——後で軸5であらためて扱う「ブラインド署名」——についても、コールドであることだけでは防げません。しかし、署名検証作業をオフライン環境に切り出せることから、不正な情報の混入を検知しやすい傾向にあります。
ホットは常時つながっているぶん攻撃面が広い代わりに、即時に送金でき、可用性が高く、運用の負荷も軽い傾向にあります。どちらが優れているという話ではありません。資産を寝かせて守るのか、動かして働かせるのかで、向き不向きが分かれるだけです。日本の資金決済法が、利用者の暗号資産は原則コールドで管理し、ホットで持てるのは業務に必要な最小限(利用者資産の5%以下)と定めているのも、この二つを役割で分ける前提に立っています。

第二の軸は「署名鍵を何に収めるか」です。
個人向けの専用デバイス(LedgerやTrezorのように、鍵がデバイスの外に出ない設計のもの)や、業務向けの金融グレードHSM(耐タンパー性を備え、監査に対応する専用の暗号モジュール)、汎用デバイスの上で動く業務用ソフトウェア、あるいは同じ汎用デバイス上で動く一般向けソフトウェア(MetaMaskのような一般的なアプリやブラウザ拡張)、事業者のサーバーやクラウド、そして紙や金属板の物理媒体など。あらゆる記録媒体が署名鍵の保管場所として利用可能です。
この軸の要点は、鍵を媒体の外に出さない実装があるかどうかです。専用デバイスとHSMは、鍵をデバイスの外に出さない設計に加えて、物理的な分解や抜き取りに耐える耐タンパー機構を備えます。汎用デバイスの上でも、業務用の実装であれば、鍵を外に出さない設計が作り込まれています。専用デバイスとの差は、突きつめれば耐タンパー機構の有無です。一方、一般向けのアプリやブラウザ拡張は、鍵が端末内に平文で置かれやすく、端末のマルウェア感染の影響を直接受けます。「汎用デバイスの上で動くから弱い」とは言い切れず、差をつけるのはデバイスの種別ではなく実装です。
注意したいのは、媒体の堅牢さとオフライン性(軸1)の混同です。HSMも、オフラインで運用すればコールドに相当し、常時接続のサーバーにつないで自動で署名させればホットです。媒体が頑丈かどうかと、ネットにつながっているかどうかは、別々に確認する必要があります。

第三の軸は「署名鍵をいくつに分け、どう署名するか」です。選択肢は、シングルシグ、マルチシグ、秘密分散、MPCの四つです。
シングルシグは、署名鍵ひとつで署名する最も単純な形です。どのチェーンでもそのまま使えますが、その鍵が単一障害点になり、ひとつ漏れれば資産はそのまま流出する懸念が生じます。マルチシグは、複数の鍵のうち一定数(例:3本中2本)で署名する仕組みを、ブロックチェーンの機能に準拠して実現します。承認の構成がチェーン上に公開・強制されるため外部から検証しやすい一方、対応するチェーンは限られます。秘密分散は、ひとつの鍵を分割して別々に保管し、署名のときに持ち寄って復元します。復元の瞬間に完全な鍵が一箇所に現れる点が、新たな露出点になります。MPC(多者間計算)は復元を経ません。断片のまま計算し合って署名を作るため完全な鍵はどこにも現れず、チェーンを選ばず使えます。その代わり、署名のたびに当事者間のネットワーク通信が必要で、仕組みの正しさはベンダー独自のオフチェーン実装に依存します。
四つに共通する限界もあります。どの方式も、署名者が偽の中身を承認してしまう事態は防げません。2025年のBybitは、コールドのマルチシグとハードウェアウォレットを使いながら、署名画面の細工で約15億ドルを失いました。同じ年の9月には、MPCを含む構成で運用していたSwissBorgが、ステーキング委託先KilnのAPI侵害を起点に約4,100万ドル(約19万SOL)を失っています。破られたのはいずれも鍵の暗号ではなく、署名する中身と、それを承認する運用でした。金融庁の示唆を受けてデロイト トーマツがまとめた研究調査でも、2025年の暗号資産関連の被害のうち約76%は、UIやAPI、未署名トランザクションの生成ロジックといった正規の仕組みを改ざんして署名プロセスを悪用する「インフラ攻撃」に分類されています。

第四の軸は「鍵と、資産を動かす権限を、誰が握るか」です。選択肢は、自分で全部握る(ノンカストディアル)、鍵の一部を他人に委ねる(セミカストディ)、丸ごと委ねる(カストディアル)の三つです。
注意したいのは、この呼び名が「誰から見るか」で向きの変わる相対的なものだという点です。利用者から見れば、取引所に預けるのはカストディアルで、取引所は利用者にとってのカストディアンにあたります。その取引所自身は、預かった資産の鍵を通常自社で管理しています。呼び名に引きずられず、「自分で管理しているか、他人に委ねているか」で捉えるのが確実です。
日本の法規制は、この境目を鍵の保有ではなく、「資産を実質的に動かせる力があるか」——実質的支配力——で引きます。鍵の一部しか持っていなくても、利用者の意思を介さずに資産を動かせる、あるいは止められる状態にあれば、他人のための管理とみなされ、暗号資産取引業の登録が必要になる場合があります。マルチシグやMPCで鍵を分け合う構成は、この線引きの上に乗ります。
カストディは、鍵管理の専門性や監査体制を自前で抱えるのではなく、外部から調達するという設計判断で、実務でも広く選ばれています。その分、預け先の破綻や侵害のリスクを引き受けることになるため、預け先の統制——監査や権限分離——をどう確かめ続けるかが、この軸の要点になります。

第五の軸は「署名する中身を確かめ、たがいに牽制できるか」です。鍵の置き場所や分け方をどれだけ固めても、署名者が偽の中身を承認すれば資産は失われます。この軸への備えは、段階を追って積み増していけます。
最も無防備な状態は「ブラインド署名」と呼ばれます。署名者に見えるのは判読できないハッシュ値だけで、宛先も金額も分からないまま承認することになります。第一段の備えが、クリア署名です。実行される指示を人間が読める形に開き、宛先・金額・呼び出す処理を確かめてから承認できるようにします。Ledgerが始めたこの取り組みは、2024年にERC-7730というオープン標準になり、現在はイーサリアム財団のもとで複数のベンダーが仕様づくりに参加しています。
第二段が、独立した検証です。中身を表示する環境そのものが侵害されている可能性に備え、開いた中身を別のツールや別の経路で突き合わせて再検証します。
第三段が、相互牽制です。検証する人と実行する人を分けて承認を分掌し、一人や一つの端末が侵されても不正な移転が通らないようにします。
エアギャップ(軸1)は、こうした確認を閉じた環境で完結させやすい足場になります。ただし足場はあくまで足場で、その上に検証と牽制を実際に組み込んで、はじめて効き目が出ます。

実際の使われ方を見ると、暗号資産を扱う主体は、交換業者でも、金融機関でも、DAT(デジタルアセット・トレジャリー。事業会社が財務戦略として暗号資産を保有する形態)でも、個人でも、用途によって層を分けています。長期に寝かせて守る資産と、日々動かして働かせる資産を、同じ構成では扱いません。
取引業者は、利用者資産の大半をコールドウォレットに収め、マルチシグと承認分掌で守ります。日々の出金にあてる最小限の資産(資金決済法が原則5%を超えないと定める部分)は、ホットウォレットを利用し、サーバー上のマルチシグやHSM、MPCなどを組み合わせ運用します。金融機関やレンディング事業者も、保全にはコールドを、運用や貸出にはホットとしてサーバー上のマルチシグやMPCを使い分けます。
DATの場合、外部のカストディアン任せの場合もあれば、自社のウォームウォレットで運用するケースもあり、実情は様々です。個人も人によりけりですが、長期分は専用デバイスか交換所などのカストディアンで寝かせ、日常の少額分はスマートフォンや取引所に置くことが一般的です。

もちろん、これらの例は、推奨順位でも製品の格付けでもありません。どの主体も、単一の「正解の構成」ではなく、用途とリスクに応じて複数の構成を併せ持っています。移転までの待ち時間を詰める工夫や、承認のUI・通知・権限設計しだいで、運用性は大きく変えられます。
どの比較軸にも、「これひとつで絶対に安全」という選択肢はありません。「良いウォレット」という単一の正解もなく、あるのは、扱う資産と用途に応じて軸ごとの選択を組み合わせ、どのリスクを引き受け、どのリスクを断つかを決めていく作業——「ここから先へは越えさせない」という一線を、統制として設計する作業です。最後に効いてくるのは、署名する人自身が、自分が何に署名し、どんなリスクを引き受けているのかを把握できているかどうかです。
この一線は、一人で引き切る必要はありません。自社の用途とリスクに合わせて五つの軸を重ね、抜け漏れのない統制を一緒に設計できる相手と組むことが、確かな近道になります。Gincoは、事業者や金融機関のデジタルアセット事業を、構想から運用まで支援しています。ウォレットの実装は「どのツールを選ぶか」ではなく、比較軸ごとの選択をどう組み合わせて有効な統制を作るかという設計の問題です。私たちは、その選択と制約をお客様と一緒に整理し、セキュリティの強化と持続可能な運用の両立を、それぞれの業務に即して設計する立場でありたいと考えています。
具体的には、鍵管理・署名フローの設計、社内の権限と承認ポリシーの設計、ウォレット基盤の要件定義・構築・運用、既存の業務システムへの統合などが可能です。
皆さんのデジタルアセット活用やオンチェーン金融事業実現を専門家チームが支えます。事業全体の構想からシステム要件定義、開発、保守運用まで、あらゆるフェーズからプロジェクトに伴走しますので、ぜひお気軽にご相談ください。

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